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gaccoというサービスについて私見を語ってみる [ニュース]

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gaccoというサービスが展開されはじめました。これが何かと簡単に説明すると、優秀な講師が行う授業をオンラインで誰でも受けることができるサービスです。要するに教育の改革ですね。

gaccoのページを見てみたところ、受けることができる講師陣を見てみると、東大や京大といった国公立、慶応義塾や早稲田といった難関私大のほか、グロービスという社会人なら聞いたことがある経営を専門とする学校や、文化服装学院といったアパレル関係者なら知らない人はいないといっても過言ではないような専門学校の講師など、本当にさまざまなようです。

gaccoのメリット(予想)


これによって何が起こるのかというと、講師の固定化と淘汰です。あんまり良いように聞こえないかもしれませんが、つまりは良い講師はいつまでも居残ることができるほどに給与を得て、逆に質が悪い講師はどんどん良い講師との格差が拡がりっていくということです。

具体的にどういうことかというと、講師1人に対して授業を受けれる生徒の数が、教室いっぱいになるまでといったリミットが外れ、青天井になるということです。なので質の良い講師の下には生徒があふれかえり、そうではない講師の下には生徒が少なくなるという状況が生まれるはずです。

質の悪い講師にとっては良いことではないのかもしれませんが、授業を受ける側からしてみれば良い講師というのが授業を受けなくても一目瞭然の状態になり、変な授業は受けずに済むというメリットが今後に出ることでしょう。

さらに言えば青天井の生徒から授業料を徴収するわけなので、生徒1人当たりが授業料として支払う単価はおそらくこれまでにない安さになるというところです。

gaccoのデメリット(予想)


前述の通りで、講師間による所得の格差が拡がるという点です。あらかじめ人気を獲得した講師というのは、その人気がかなり長い間定着することが予想されます。私が昔通っていた代々木ゼミナールでもそんな感じでした。

ですので、後発の講師が育たないリスクがあります。まぁ先見の明とでも言うところです。

過去に受けた「教育」の経験を交えて


私が通っていた高校はまぁそこそこの偏差値だったのですが、現代文の先生で漢字の権威だと言われている先生の授業がありました。

その先生が行う授業の説明というのは実に簡単で、文を生徒に朗読させ、先生が難しいと判断した漢字の意味を生徒に説くというものです。受験に合うように、その文章をどう考えるべきかなどといったことは一切ありませんでした。なので、この先生の価値は辞書1冊分にも満たないような内容でした。

大したことのない高校に行っていたのだろうと言われればまぁそれまでではあるのですが、世の中の潮流というのは依然として学歴社会です。たとえばTV局や大手の広告代理店などを見てみれば、高学歴と呼ばれる肩書きを持つ人間で埋め尽くされているはずです。そうではない人間が入社のためにエントリーをしたとしても、書類で落とされるというところが現実でしょう。

私が通ってきた大学や高校ではどこでも言われていたような気がするフレーズなのですが、仮に高校等の1つ1つの教育機関が「世の中に通じる人間を育てる」などといった聞こえの良いことを言うのであれば、少なくともそれらの企業にすら門前払いされないほどの偏差値まで引き上げることが1つのミッションであるべきです。偏差値の低いところに入ったから偏差値の低いままで社会に人を排出するなど言語道断です。

実際には偏差値の低いままで人を世の中に排出するのが偏差値で分類された人の運命とも言うべき末路です。当然ですが、偏差値による人の分類というのはとても良く考えられた社会のシステムであるようには思いますが、ただそれだけで人の能力の高さは推し量ることは必ずしもできないというところもまた1つの事実です。だからそうした人が自分のレベルの適正さを証明する手段がgaccoみたいなサービスであればいいなとは勝手に思っています。

どういうことかと言うと、あまり偏差値が高くないとされる教育機関を出てしまった人であっても、gaccoみたいなサービスで一定の教育課程を経て実力を付けたと証明される何かが交付され、それを企業が見てその人に対して適正な査定をされるような仕組みであったらいいなというところです。

よく言われる話ではありますが、日本の大学教育というものは入り口は狭くて出口は広いです。大学に入ってしまえばよほどのことがない限りは普通は卒業ができます。世の中の企業が見ているところは「どこの門をくぐったか」というところが第一関門になるわけなので、そこで生徒の個々の見極めなんてものが付くのかというと微妙なところなのではないでしょうか。

まずどの門をくぐったのかを査定するというのは企業にとってはリスクヘッジの1つになるので、若干のところ仕方のないアクションであることは間違いないでしょう。ただ、そこの門をくぐることができたかどうかなんてのはとても刹那的なものであるので、そこだけで生徒がその個々の人間性みたいなものの本質を見極められてしまうのはちょっと悲しいというか勿体ないというか、ノスタルジックな気持ちに私はなってしまうのです。

理想としてはその人それぞれがちゃんと評価される世の中であってほしいというところです。努力が必要だというのであれば大学を出てからどういう勉強をしたかであっても良いと思うのです。だからgaccoみたいなサービスで得た知識というものがちゃんとその先で通じるような証明の手段になったら良いなと勝手に願います。


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