そろそろ節分だけど、節分の起源って何? [節分]
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今年も節分の日が近付いてきました。一般的に2月3日が節分だという認識は皆さんもお持ちかと思うのですが、そもそもなぜ2月3日が節分という日に当てられたのでしょうか?
節分とは「雑節(ざっせつ)」といって、季節の移り変わりをより的確につかむために設けられた特別な日のことを指します。雑節は一年のうちに以下の9個があり、それぞれによって「春が来た」とか「夏が来た」といった季節を感じ取る節目になっているわけです。
・節分:2月3日
・彼岸:春分と秋分の中日で、前後3日を合わせた計7日間
・社日:春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日
・八十八夜:平年は5月2日、閏年は5月1日
・入梅:6月11日ごろ
・半夏生:7月2日ごろ
・土用:四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前の約18日間
・二百十日:立春を起算日として210日目
・二百二十日:立春を起算日として220日目
節分の意味自体は、春夏秋冬といった各季節の始まりの日を意味しているので、本来は必ずしも春の始まりだけを指すわけではないのですが、江戸時代以降からは特に立春の前日(2月4日ごろ)を指すことが多くなったようです。
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていることから由来しています。そもそも「鬼」という単語は、「隠(おぬ)」という言葉から転じたものだそうで、姿の見えないものや、この世にいないものといったものを意味していたそうです。
昔の人が恐れた姿の見えないものというと、例えば天災だったり病気だったりといったところだと思いますが、そうした神や悪霊といった人を超越した存在の仕業としか考えられなかった災厄を恐れて、お祓いをしていたように考えられます。
特に季節の変わり目なんかだと、現代ですら体調を崩す人っていますよね?それを何か目に見えない悪いもののせいだと昔の人は考えたのではないでしょうか?
邪気を払うために古くから豆撒きが行事として執り行われていますが、これは宇多天皇の時代(867~931年ごろ)に鞍馬山という京都にある山から鬼が出てきて都を荒らすのをこらしめるために、三石三升(さんごくさんしょう)の炒り豆で鬼の目を粒して災厄を逃れたという伝説が期限となっているようです。
ちなみに三石三升とは量を示していて、分かりやすく言うと約540リットルもあるそうです…。お風呂にお湯をためると200~240リットルだそうなので、まぁ相当な量の豆を鬼にぶつけていたということが分かりますね…。きっと翌日は宇多天皇は筋肉痛だったことでしょう。
なぜにもっと痛そうなものではなく豆なのかというところですが、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰がそもそもあったことと、その中でも豆は「魔目」といった頃合わせで、特に強い呪力を持った穀物だと考えられていたようです。それを鬼の目に投げることによって鬼を滅する「魔滅(まめつ)」として、邪気を追い払う意味合いが持たれました。
もうダジャレだらけですね…。
鬼というのは上記の通りで、言わば「見えざる何か」です。何も悪霊などの悪いものばかりではありません。なので、地方によっては神の使いと見なし、むしろ来てほしいものとして扱われるのだそうです。
他にも「九鬼」という大名がいた領地では、その藩主に敬意を示して「鬼は内」というところもあったそうです。昔も世間体というものは当然気にしていたというわけですねー。
といったところで節分に関するウンチクは以上です。
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今年も節分の日が近付いてきました。一般的に2月3日が節分だという認識は皆さんもお持ちかと思うのですが、そもそもなぜ2月3日が節分という日に当てられたのでしょうか?
節分とは雑節の1つである
節分とは「雑節(ざっせつ)」といって、季節の移り変わりをより的確につかむために設けられた特別な日のことを指します。雑節は一年のうちに以下の9個があり、それぞれによって「春が来た」とか「夏が来た」といった季節を感じ取る節目になっているわけです。
・節分:2月3日
・彼岸:春分と秋分の中日で、前後3日を合わせた計7日間
・社日:春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日
・八十八夜:平年は5月2日、閏年は5月1日
・入梅:6月11日ごろ
・半夏生:7月2日ごろ
・土用:四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前の約18日間
・二百十日:立春を起算日として210日目
・二百二十日:立春を起算日として220日目
節分の意味自体は、春夏秋冬といった各季節の始まりの日を意味しているので、本来は必ずしも春の始まりだけを指すわけではないのですが、江戸時代以降からは特に立春の前日(2月4日ごろ)を指すことが多くなったようです。
節分と鬼ってどういう繋がり?
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていることから由来しています。そもそも「鬼」という単語は、「隠(おぬ)」という言葉から転じたものだそうで、姿の見えないものや、この世にいないものといったものを意味していたそうです。
昔の人が恐れた姿の見えないものというと、例えば天災だったり病気だったりといったところだと思いますが、そうした神や悪霊といった人を超越した存在の仕業としか考えられなかった災厄を恐れて、お祓いをしていたように考えられます。
特に季節の変わり目なんかだと、現代ですら体調を崩す人っていますよね?それを何か目に見えない悪いもののせいだと昔の人は考えたのではないでしょうか?
どうして豆を撒くのか?
邪気を払うために古くから豆撒きが行事として執り行われていますが、これは宇多天皇の時代(867~931年ごろ)に鞍馬山という京都にある山から鬼が出てきて都を荒らすのをこらしめるために、三石三升(さんごくさんしょう)の炒り豆で鬼の目を粒して災厄を逃れたという伝説が期限となっているようです。
ちなみに三石三升とは量を示していて、分かりやすく言うと約540リットルもあるそうです…。お風呂にお湯をためると200~240リットルだそうなので、まぁ相当な量の豆を鬼にぶつけていたということが分かりますね…。きっと翌日は宇多天皇は筋肉痛だったことでしょう。
なぜにもっと痛そうなものではなく豆なのかというところですが、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰がそもそもあったことと、その中でも豆は「魔目」といった頃合わせで、特に強い呪力を持った穀物だと考えられていたようです。それを鬼の目に投げることによって鬼を滅する「魔滅(まめつ)」として、邪気を追い払う意味合いが持たれました。
もうダジャレだらけですね…。
では「鬼は内」って何?
鬼というのは上記の通りで、言わば「見えざる何か」です。何も悪霊などの悪いものばかりではありません。なので、地方によっては神の使いと見なし、むしろ来てほしいものとして扱われるのだそうです。
他にも「九鬼」という大名がいた領地では、その藩主に敬意を示して「鬼は内」というところもあったそうです。昔も世間体というものは当然気にしていたというわけですねー。
といったところで節分に関するウンチクは以上です。
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